2010年05月23日

宗尊親王考(1)

大仰なタイトルの割には何処まで詰められるか解からないまま筆を取る。

もう9年も昔になるのが俄かには信じ難いのだが、NHK大河ドラマ「北条時宗」で吹越満が怪演していたのが事の発端。
高校生の当時からして色々とツッコミ所の多い大河ではあったが、打倒鎌倉に燃える宗尊親王像には大きく感化された様に思う。
映像自体は、NHKアーカイブスに行っても総集編しか見ることが出来なさそうで至極残念である。

で、その大爆笑モノの宗尊親王像を胸に抱きつつ随分と長い年月が経ってしまった訳で、ここらで一つ整理しておこうかなとWikipedia先生と山川出版社先生に教えを乞うた所、どうもこれは如何にして政治権力が朝廷から武士へと移行したのかを把握した方が人物像を想像し易いのではないかと思うに至る。
武士の台頭を振り返るならやはり保元・平治の乱は押さえておかねばなるまいが、やはり人間関係を確認するという意味では崇徳院と後白河院の対立、延いては鳥羽院、白河院の確執と遡らなければ理解は難しかろう。
あとはまぁ後三条院の頃から段々と衰退して行く摂関家内の対立と三后、准后辺りの駆け引き、源平両氏の立ち位置確認を。
源平合戦から実朝の暗殺までは流す程度にして、九条頼経、宗尊親王と惟康親王らの鎌倉将軍達をおさらいしつつ、宝治合戦や二月騒動、霜月騒動などの鎌倉幕府内部に於ける北条得宗家や御家人、御内人のゴタゴタをチェック。
あとは元寇に絡んで亀山院と後宇多院の治世、後深草院と併せて南北朝の対立辺りまでまとめられたら良いなぁ。
後醍醐帝までやる心算はないのだが、ざっと見ただけで約200年間……まあね、皇室が常に争いの渦中にあった時代なのだから扱う範囲は途轍もなく広くなるのは自明であるけれど、めげない程度に頑張ろう。

何分割すれば綺麗にまとめられるかは不明だが、興味が途切れない内に更新を続けたいので一つ宜しく。
posted by Yatsumi at 04:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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